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箕面市粟生間谷地区にお城があった
また、遺跡発掘が またまたお地蔵さん見つかったよ

 (2002年5月21日 19:03:22更新)
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箕面市粟生間谷西地区(現在粟生第二住宅)にお守り地蔵があります。

 私(野口店長)の家は、旧地区の奥の出身で、昔から稲作と切花(桃の花や雪柳などの木の花が中心)で生計をたてていましした。         
だから、先代のおじいさんも今のおじいさんも歴代名前に松がつきます(松吉、丑松、由松といったように名前が付けられ屋号が花松と呼ばれいます)。 また、昔から酒米としても出荷しているほど品質のよいお米も生産され、酒蔵や地域を治める城主(攝津の国や三島藩)領土争いもあったり、勝尾寺の門前地域としても歴史のある古い地域です。明治初期から花作りやみかんやその後粟生のビワとして有名になったくらいこの粟生地域はどこの御家も農業の盛んな地域でした。そんな中で我が家の田んぼが今の粟生団地第二住宅にたくさんありました。                その中に三反まちというほどの大きな田んぼのそばにお地蔵さんが数体(六地蔵さん)ありました。五穀豊作と家内安全と子孫繁栄を祈るお地蔵さんは昔から地域のこどもたちの守り地蔵として育まれてきました。昭和40年代にはいり、宅地開発が進む中、この地も住宅公団に売却し宅地造成が始まりました。                                                                            
(次の項目に当時の畑や田んぼの地形図の航空写真がありますので見て下さい。東今井と市の井の水利地区に家があります)                       
                                                                   
  
お地蔵さんの祠(舘)も立派になりました。  団地内に地蔵通りがあり、その中心にお地蔵さんが奉られてています。(豊川北小運動場の南側)
その時に埋もれてしまいました。そんな事があってある時我が家の祖父さんが、埋もれて泣いているお地蔵さんの夢を見ました。           そこで、お祖父さんは可哀想に思い、元の場所に行って見ると造成工事の真っ最中でドルドーザーの機械の横で正に危機一髪の処を一体だけ助けあげることができました。 そして勝尾寺にお願いして境内に他の地蔵さん共に安置していただきました。                         
当時の青少年指導員であった故人酒居公明さんが、その話を聞きつけて、新しく開発された公団の第二住宅のお守り地蔵として鎮守の森に地蔵通りと名付けてその公園の通りに立派な祠(舘)・社を建てて頂きました。(昭和50年から53年のお話) ありがとうございました。こうして、見事に立派に再建され、今も毎年8月には地蔵盆の法要と多くの子どもさんや地域の人々を見守ってくれています。             
                                (少しローカルなお話ですが、野口家先祖代々も大変喜んでいます。)                



 箕面市粟生間谷地区にお城があった

箕面市史から引用(たまたま豊北小ページと同企画でびっくりでした)○○【郷土の地図】から豊北小のページへ動きます


以前農業委員をさせていただいた時に、水利の話や昭和初期に土地宝典が再版され、明治時代以後の旧地籍や
昭和年代の農地改革後の地籍図を調べる機会を得ました。
 

 現代の東山住宅の地域に粟生のお城があったといわれています。
粟生間谷西7丁目地域で昔の地名で城山から八尾池と堂の代地域だそうです。
青い色の部分がお濠あとといわれており、赤い点線を入れた所にお城(建物)が建っていたそうです。
現代でも旧地域では垣内名で残っています。わたしの住まいは旧今井の水利地区(奥)で村の出身です。
(博文堂店長:野口博史)

また、裏山については阪急不動産が土地買収を始めた頃に旧間谷地区重鎮の皆さん方の努力で立会山史という本を出版されました。(非買本)
箕面市史の原本にもなっています。

次回は粟生のお地蔵さんを紹介します。わたしの先祖の田畑の守り地蔵さんでした。
 
  昭和23年当時の田畑風景(私の生まれた頃の航空写真)
わが町の遺跡についての大発見

国際文化公園都市の建設に先立ち、平成6年から始めた文化財調査の結果、旧石器・縄文から古代・中世に及ぶ遺構・遺物が検出されたそうです。
 かなでも、90千uを超える面積を持つ粟生間谷遺跡からは、旧石器時代の石器づくりの跡や古代末から中世にかけての集落全容が明らかになったときています。

 粟生間谷遺跡は、谷に面した南向きの小高い丘と勝尾寺川とその支流の川合裏川の谷沿いにあり、住居・作業場・墓・畠などの生活空間が広がっていました。 
(箕面市粟生間谷遺跡の発掘現場)

 粟生間谷遺跡は旧石器から現代へと切れ目なく続いた史跡の宝庫。
本格的なムラへと開発されたのは平安時代以降のようです。
 粟生間谷遺跡の他にも、国際文化公園都市建設サイトから庄田遺跡・徳大寺遺跡・佐保栗栖山砦跡・栗栖山南中世墓群等が検出発見され、大阪府内でも有数の大規模遺跡群の発見となったそうです。 
 

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